ノーベル賞とナショナリズム

ノーベル化学賞】「私は受験地獄の支持者だ」「若者よ、海外に出よ」根岸さんが会見]
産経新聞 2010.10.7
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101007/acd1010070904010-n1.htm

 【ウェストラファイエット(米インディアナ州)=松尾理也】「たぶん、今日から人生が変わる」。ノーベル化学賞を受賞した米パデュー大特別教授の根岸英一氏(75)は6日、同大で会見に臨み、受賞の喜びを語った。

 「前日、家内に『百に一つくらいの確率で(受賞が)あるかもしれないぞ)』と話していたんです」。そう述べた根岸氏は、「実は数年前に(ノーベル賞受賞者でもある)恩師のハーバード・ブラウン教授に『ノーベル賞に推薦しておいたぞ』と言われていた。候補に上っていることはわかっていたので、まったくの驚きだったというわけではない」と、内幕を明かした。

 「ノーベル賞をとるという、50年来の夢が現実になった。これからの人生、喜びも責任も含めて、違ったものになると覚悟しています」

 「頭脳流出組」の先駆けとして、米国に活躍の場を求めた根岸氏。喜びにまじって、祖国日本への思いがところどころに顔をのぞかせた。会見の冒頭。「私は日本の(悪名高い)受験地獄の支持者だ」。理由は、高度な研究になればなるほど、「基本が大事になるから」。それをたたきこんでくれたのが、日本の教育だった、というわけだ。

 だが、日本に対しては賛美だけではない。日本を飛び出すことになったきっかけは、フルブライト留学制度を利用した米ペンシルベニア大への留学だったが、「いざ博士号を取得して日本に帰ってみると、日本には私を受け入れる余地はまったくなかった」と、日本の高等教育の閉鎖性を暗に批判した。

 「日本はもっとノーベル賞をとっていい」。そう考えている根岸氏は、日本の若者たちの「科学離れ」にも強い危機感を抱いている。最近、日本からの優秀な留学生をパデュー大でみかけることがめっきり少なくなったという。

 「日本はすごく居心地がいい社会なんでしょうけれど、若者よ、海外に出よ、と言いたい。たとえ海外で成功しなくとも、一定期間、日本を外側からみるという体験は、何にもまして重要なはず」と、奮起を促した。

日本という文字がこの短い記事に13回も出てくる。
根岸教授が日本へ非常に強い思いを持っていて、それを語った結果、「日本」という言葉だらけになったわけじゃない。 
記者が「ノーベル賞」と「日本」を結びつけることに強い思いがあっただけ。

テレビを見ていたら、2人のノーベル賞受賞に対する町の声ということで、中年男性と小学生の子どものインタビューが流れてた。2人とも「日本」ていう言葉を使ってた。
子どもは「日本を取り戻したみたいな感じ」と言ってた

ノーベル賞を受賞したのは、日本じゃない。鈴木章さん、根岸英一さん、リチャード・ヘックさんという3人の個人だ。 あんたら(私も含めて)関係ないじゃん。

・・・なんて考えると、コミュニタリアンの人に批判されるんだろうな。

オリンピックとかノーベル賞とかで盛り上がるNIPPON万歳!は良いナショナリズムと言われる場合が多いと思う。 
確かにそうだろう。 スポーツ、教育や研究への税金の投資が肯定されるし、それらは将来的に国全体の利益となって帰ってくるだろう。 

でも何なんだろう? この気持ち悪さは。

私が鈴木さん、根岸さんと同じ日本人であるというだけの大きなくくりで喜べるなら、秋葉原通り魔殺傷事件の犯人と同じ日本人であることで苦しむべきだと思う。 

70代、80代のノーベル賞を受賞する立派な科学者と私とでは、日本に生まれたぐらいのわずかな共通点しかない。 それに比べ秋葉原通り魔殺傷事件の犯人とは年代も近いし、きっと感じること考えることの共通点はずっと多いはず。

ノーベル賞やオリンピックなどの受賞の場合、「同じ日本人」ということで大喜びする人たちが、犯罪者へは「同じ日本人」だと認識しようとしない。 個人の残虐性や、他のマイノリティの属性(若者、派遣、オタクなど)を強調する。

私が気持ち悪く感じるのは、功績をあげた人を賞賛するコミュニティーが、平気でコミュニティーの人を切り捨てること。
アメリカのティーパーティは排外主義的だけど、国民総医療保険に反対して、同胞の医療費を助け合う気はないし、日本の排外的愛国主義者も福祉は大嫌いのようだ。

成功者の賞賛はするが、失敗した人間を切り捨てるようなコミュニタリアニズムはくそくらえだと思う。