国家システム型と国家支配型

哲学も社会学もまったく知らない私が、感じたことを適当に書いてみる。


「国を必ず守らなきゃいけないってなんかヘンだよね……」ホリエモンひろゆきが、“国防”を語る - 週プレNEWS http://wpb.shueisha.co.jp/2011/02/25/2809/


とその記事に関するブコメを読んで、国家と国民の関係のとらえ方がおおざっぱにいって2種類あるような気がした。

  1. 国家システム型
  2. 国家支配型

  


ホリエモン氏やひろゆき氏はもちろん国家システム型。国をシステムやインフラのように考える。もちろんシステムやインフラがしっかりしている方が有利だが、「国に頼ってない人は“別に関係ねえや”って思ってるわけでしょ」(ホリエモン氏)のように、自分の能力が高ければ、システムやインフラが多少悪くても問題ないと考える。
またひろゆき氏は「無血革命みたいな形で譲渡されて、人が死なないんだったら、(他国に国土を譲渡しても)いいんじゃないの?」と人命のほうが国家より重いと考える。
私もホリエモン氏やひろゆき氏と同じ国家システム型の考え方。決してリバタリアンでもないし、能力もない人間だけど、国家は愛の対象にはならない。

ホリエモン氏とひろゆき氏の対談につけられたブコメの反論は、国家システム型と国家支配型両者から反論がつけられた。


1. 国家システム型論者からの反論 
中国人になると、現在の自由や豊かさが減るので困る、などの反論。 この反論が起こることは2人は予測して、こう答えている。
「役員とかトップは首をすげ替えられるけど、現場の社員とかは残りますよね」(ひろゆき氏)
「民衆の生活はあまり変わらないのに、変わるって洗脳されている。変わるって思わされて戦争をするのはおかしい。もしかしたら将来、“あのとき、中国の何十番目の省になったほうがよかったんじゃね”みたいなことがあるかもしれないよね」(堀江氏)

国家のシステムが貧弱だと、とくに弱者にとって不利になる。中国の格差について昨日夕方のNHKで放送していた。 私も困ると思う。 ただ、この国家システム論者とホリエモン氏やひろゆき氏とは、同じ言葉を話しているので会話が可能だと思う。



対してまったく言葉が通じていないのが、

2.国家支配型論者からの反論だ。
国家支配型論者は、国家という大いなるものの加護のもとに国民がいると考えているので、ホリエモン氏らと言葉が通じない。

たとえば、ブコメから抜粋すると

  • 国の恩恵を受けておいてそれは無い
  • 逆に、国に守ってもらってるんだけどね国民は。それなのに、守らなくていいってのも変だ。
  • 日本国があるからホリエモンが居るわけで、国が不要なら中国にでも移住した方がお金儲けの点では有利だろうね 

再配分で他の国民に助けられたと考えても「国の恩恵」だとは考えないだろうし、自衛隊は税金で保有しているので守ってもらっているとは考えない。日本がなくても父ちゃんと母ちゃんがいれば生まれる。

国家支配型論者が絶対的な存在だと信じる国は、国家システム型論者には見えない。
国家システム論者にとって困るのは、国家支配型論者がしばしば自分たちの信じる「国」に自己の欲望を重ね合わせ、他の国民を支配しようとすることだと思う。

国を絶対に守らなければならない派で「朝まで生テレビ」でホリエモン氏と共演した竹田恒泰氏は、朝生の1週間ほど前のツイッターでこうつぶやいている。

日本国憲法は、世界の憲法のなかでは珍しく、国籍離脱の禁止を定めていない。つまり、日本人は勝手に日本人を辞めてよい。国旗国歌が嫌いなら、とっとと日本から出ていけ!6:34 PM Jan 28th

言葉は通じない。