レイシズムへの不寛容について
過ぎ去ろうとしない過去
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20100402/p1
あらゆる否定論はそれ自体で排外主義を構成している。
(略)
だが、いかなる場合においてもわれわれは、「否定論あるいは否定論者の存在を認める」と言ってはいけない。それは、もしかすると「寛容」をモットーとするリベラルな自己認識にとっては耐えられないことかもしれない。しかし、「否定論あるいは否定論者」への「寛容」はいっさい示すべきではない。示した時点で、それは大きな倫理的欠落とよぶべきものなのである。
「あらゆる否定論はそれ自体で排外主義を構成している。」
同意します。
でも、でも、否定論者への寛容はいっさい示さないところで、どうするんでしょうか。
「拉致は悪だ」
誰もが同意します。 それじゃあ、金正日の写真を飾っていた朝鮮学校へはいっさい寛容を示すべきではないのでしょうか?
「テロは悪だから、テロリストに同情する奴らはやっつけてしまえ!」
「オウムは悪だから、オウム信者はやっつけてしまえ!」
「アジア侵略は悪だから、天皇をいまだに崇拝する日本人はやっつけてしまえ!」
なんてことにならないでしょうか。
排外主義はマイノリティに被害をあたえます。
だからといって排外主義者への不寛容では何も解決しないんではないでしょうか。