中川昭前大臣、昼食を共にした記者が「女性」であったこと

産経新聞福島香織さんのブログより

雑談:権力との付き合い方。かわいがられる記者におなりなさい
http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/902304

■で、さきごろ世間を騒がした、中川昭一・前財務・金融担当相のG7酩酊記者会見。中川氏が会見直前に某社の美人女性記者ら、お気に入り記者を集めて会食したという話が新聞や週刊誌で話題になった。「美人記者」と週刊誌やタブロイド紙は強調して書くものだから、なんかいかがわしげなことを連想させるが、要するに2月14日のバレンタインデーだから、女性記者限定の会食にしたのだろう。いずれにしろ、閣僚から特別扱いされて同じテーブルに呼ばれるというのは、まちがいなく彼女らが「かわいげ」のある優秀な記者であるということだ。本来なら、政治家によく食い込んでいる、と評価されてしかるべきだが、残念なことに、昼食会の現場ルポという特ダネ記事は書けなかった。


中川昭一前財務・金融担当相のG7酩酊記者会見の直前に昼食を共にした記者に非難が集まっているそうです。
一方はジャーナリズム論から記者として見聞きしたことを書かなかったこと。 もう一方は憂国の士の皆様からが「美人記者」が中川氏を誘惑して酒を飲まして国益を損ねたとの怒り。

前者のジャーナリズム論は、私にはわかりません。 ジャーナリストとして取材対象と距離を置き、対等に向き合うことは必要だけれど、距離を置き過ぎれば取材対象から十分な情報が得られなくなります。 取材対象は情報源であり重要な取引先であるのですから、ある程度の駆け引きは必要でしょう。 記者個人ではなく、記者の所属する新聞社の意向があるでしょう。

後者の憂国の士の皆様に関しては、中川氏は大人であり、彼が酒を飲もうが、薬を規定量の2倍飲もうが、朦朧とした状態で記者会見に出ようが、官僚や記者にはまったく責任はないはずです。 反対に酒や薬を飲むこと、記者会見に出るか出ないかなどを官僚や記者が大臣の行動をコントロールできるような状態の方が怖いはずです。 中川さんは自分で薬を飲み、酒のグラスを自分で口に運び、記者会見に自分の判断で出席した。 周囲に責任転嫁をするのは中川さんが幼稚園児なみの能力の持ち主で、そんな人が大臣だったと言っているようなものです。


気になることは、昼食を共にした記者に非難の声が集まるのは、彼女が女性だったからでは? ということです。
毎日新聞の記事によると、G7前夜に男性記者も参加して、中川さんが酒を飲んでいたそうです。 この男性記者たちも、一緒に飲んだことは新聞に書いていません。 それなのに財務省の役人や通訳と昼食を同席した女性記者にのみ強く非難が集まっているのです。 複数の人が同席したのですから、中川さんの飲酒に関してこの女性記者の責任じゃないし、記事にしなかったのは前夜に一緒に飲んでいた男性を含む記者と同じはずです。
もしこの記者が女性であり美人であったことが、それが中川氏と昼食をともにし、彼を酔わした原因であるなら、責められるべきは中川氏ではありませんか? 

大新聞の記者でも、一般市民です。 家族もあるだろうし、24時間SPがついて守ってくれるはずがありません。だから憂国の士の皆様は怖いはずです。「国益を損ねた」と言って襲ってくるかもしれません。 また、ジャーナリストとしても女性であり美人であることを利用したというレッテルをはられ、記者生命が終わるかもしれません。 書けなかったのは、彼女の所属する大新聞社の都合だったかもしれないのに。

この21世紀においても、女性が男性社会の中で働くことに大きなディスアドバンテージがあるように思えます。 男性記者であれば、酒を飲ませようが、深夜であろうが取材対象に食い込めたのに、同じことをしても、女性だと周囲が「女性記者」であり、その特権を活かしたのでは? と言われる可能性を考慮しなくてはいけません。