差別は絶対悪か?

ハーバード白熱教室 Lecture22 愛国心のジレンマで紹介された、Eyes on the prizeというドキュメンタリーからの1950年代のアメリカ南部人種隔離主義者の言い分*1 *2

Clip: This land is composed of two different cultures, a white culture and a colored culture, and I live close to them all my life. And I’m told now that we mistreated them and that we must change, and these changes are coming faster than I expected, and I’m required to make decisions on a basis of a new way of thinking, and it’s difficult. Difficult for me, it’s difficult for all southerners.

現代のアメリカや日本であれば、人種による隔離政策を悪だと言える。
ただ、この男性は人種隔離が「当たり前」の環境に育ってきた。 そして突然、間違っているから考え方を変えろと言われた。
「難しい。私には難しい。すべての南部人には難しい」

もし正義が不変なものであり、差別が悪であれば、この男は悪であると言える。


私は差別は普遍的に悪であるべきだと思う。 そう思うけれど、私はこの人種隔離主義者を一方的に非難する権利を持つだろうか?


現代の日本の例
「肉屋、鞄屋の人とは結婚して欲しくない」

「肉屋と鞄屋の人とは結婚して欲しくないなあ。

そういう人たちは昔「えったもん」と言われててね。

そんな人達と結婚したらあなた自身だけでなく子供、孫までかわいそう…」

60歳後半の母親についての話。 
私の母と同世代。

現在と違って差別がもっとひどい時代に育ってきた。 差別されることもあっただろう。

1950年代のビデオクリップのアメリカ南部の人と同じく、差別がイケないということには気づいている。
でも簡単には変えられない。

もし、私が1950年より以前のアメリカ南部に白人として生まれていたら、そして周囲が人種隔離が当然という環境であったなら、
たったひとりで「差別はぜったいに許さない」なんてことが言えただろうか。


サンデル教授らコミュニタリアンはリベラルの主張「自由で独立した、みずから目的を選べる自己として人間を尊重すべき」という考え方を否定する。

われわれは先行する道徳的絆に縛られているのだから。